2020年大河ドラマ「麒麟がくる」放送に合わせて、
明智光秀ゆかりの地を巡ってきました。
明智光秀は、「本能寺の変」にて主君 織田信長を自害させた武将として有名ですが、
出自や人生の終焉については今も多くの謎が残っています。
そのような彼のゆかりの地を巡り、思いを馳せてみませんか?
福知山城は、 天正7年(1579) ごろ、
丹波平定に成功した明智光秀が丹波の拠点として新たに城を築いたのが始まりとされています。
以来、 戦乱の時代、城主が交代する中、順次整備が進められ、
慶長5年(1600) ごろに完成したようです。
明治時代のはじめに廃城令で取り壊され、
石垣と銅門(あかがねもん)番所だけが残されていましたが、
市民の瓦1枚運動などの熱意によって、
3層4階の天守閣が、 昭和61年 (1986) 11月に再建されました。
天守閣は、 望楼型の独立式を基本として復元され、
初期天守閣の特徴がよく現れたものとなっています。
石垣は、 築城当初の面影を残すもので、野面積み、乱石積み、
穴太積みなどと呼ばれる、自然石をそのまま用いた豪放なもので、
福知山市の指定文化財となっています。
一見乱雑に見えますが、 石材は奥に長く用いられて、強固な石垣が組み上げられています。
石垣内部に石塔類が使われるなど、
安土城や二条城など織田信長にかかわるお城に共通する特徴を持っています。
深さ50m (城郭内湛水井としては日本一の深井戸)の「豊磐(とよいわ)の井」は、
今も海抜30mの高さまで清らかな水をたたえています。
天守閣内部は郷土資料館として公開し、
古代から近代にかけての、城や福知山にかかわる歴史資料を展示しています。
望楼からの城下の眺めは抜群です。
平成29年(公財)日本城郭検協会 続日本100名城認定。
平成30年11月24日(土)、25日(日)には将棋のタイトル戦
第31期竜王戦七番勝負第4局の舞台となりました。(竜王戦史上初お城での開催)
※武将の着物の方とのフォトサービスがラッキーにも出会えるかもしれません。
明智光秀の霊をまつり、光秀直筆の書状や家中軍法を蔵しています御霊神社。
神社横の御霊公園には、昭和28年の台風13号の浸水位の標識や
人形が飛び出す、一億円からくり時計などがあります。
自然の中にある天寧寺を訪れました。
京都府指定文化財にも指定されている天寧寺は、
福知山の北方の山間にある禅宗寺院です。
貞治4年(1365)高僧愚中周及を開山として開かれました。
足利義持ら将軍家からも信奉され、室町時代の禅宗文化を伝える名刹です。
明智光秀の判物(書物)など、多くの文化財が遺っており、
四季それぞれの風情が楽しめます。
山家城は羽柴秀吉の家臣である谷衛友が「本能寺の変」後に築いた城です。
現在は山家城址公園として模擬櫓門が建てられており、
門の2階が「山家資料館」になっています。
現在は、山家城址公園として整備され、
梅や紅葉の 名所としても有名で、「京都の自然200選」にも選ばれています。
明智光秀とともに丹後を平定した細川幽斎が築いた城で、
関ヶ原の戦いの前哨戦となった田辺籠城戦の舞台です。
城門の 2階には田辺城資料館があります。
資料館には細川幽斎公の像があり実物を見ることができます。
細川家の後に田辺城を治めた、牧野家ゆかりの鎧甲冑も展示もありました。
これは、鉄砲の試し撃ちをした鎧甲冑だそうで、
江戸時代初期の甲冑で実戦向きにつくられており、兜と胴には強度を確かめるための、
火縄銃による試し撃ちの傷跡も見られました。
また、火縄銃や日本刀も展示してありました。
文禄 3 年創建の浄土真宗本願寺派寺院です。
寺伝によると、細川幽斎が楠正成の後裔を招いて開いたとされています。
正面の山門は田辺城の黒金門を移築したものと伝えられていて、
本堂にある九曜紋と菊水紋(九曜は細川家、菊水は楠家を指す)です。
応永 8 年創建と伝わる西舞鶴·愛宕山の麓に位置し丹後有数の曹洞宗の禅寺です。
関ヶ原の戦い前哨戦の田辺城寵城戦で細川幽斎を支援し
絹本著色仏湿薬図や賛鐘の寄進を受けた歴史を持ちます。
中国文化の影響が色濃い境内には市内最大の山門に唐風の鐘楼門、
下層を通路とした珍しい竜宮門門形式の鐘楼堂や八角形の石灯龍、仏足石も見所です。
お疲れ気味な時は、自然豊かな場所へ一人旅に出ませんか?
澄み切った空気を肌に感じながら深呼吸。
スマホや時計はあえて見ないで、
好きな景色を好きなだけ眺める…何気ない時間が心を満たしてくれますよ。